【上杉鷹山の偉業踏襲と人材教育】
平成13年、「上杉鷹山生誕250年祭」が山形県米沢市で開催されました。米沢藩の救世主(藩主)であった上杉鷹山の偉業を偲び、年間を通したイベントでした。上杉鷹山は日向(宮崎県)高鍋の藩主であった秋月家より上杉家の養子となり、破綻寸前の米沢藩を再生した人物としてあまりにも有名な人物です。山形県米沢市と宮崎県高鍋市は、現在姉妹都市となっています。鷹山が藩主になったころの日本は、高度成長期であったのですが、やがて失速し、米沢藩は極度の財政難に陥ったのです。右肩下がりの時代にもかかわらず鷹山は、借金地獄であった米沢藩の家督を継ぎ、米沢藩の再建にとりくみ、倒産寸前の藩財政を見事建て直したのです。
鷹山の偉業は、藩財政の建て直しだけにはとどまりませんでした。財政難でありながら、「教育」事業の投資を行い、人材の育成をおこなっていたのです。
当社(株式会社メルサ)から車で3分の場所に、山形県立米沢興譲館高校があります。地元では名門の進学校です。この興譲館こそ、上杉鷹山が人材育成に投資・開設した学校なのです。鷹山の教育での注目点は、若い人材の育成だけではなく、仕事に就いている人材の再教育も行っているところです。
財政が厳しければ、リストラ、教育費の削減というのが通常です。しかし、鷹山は「人材育成を優先」するという教育哲学を持っていたのです。私ども株式会社メルサが、当地で生涯教育事業を起業し、人材育成を主眼としている理由も、偉大なる先人、上杉鷹山の哲学を、現代においても踏襲していこうという姿勢の表れなのです。
【上杉鷹山と米沢牛】(米沢牛売却と企業売却の類似点)
中小企業は債務超過に至ったならば売却は不可能です。自社を手塩にかけて成長させ、企業価値(魅力)あるうちに売却することにより、意に添った売却金を手にすることができるものです。
米沢牛も同じです。牛の繁殖から成熟した「良質牛」の育成は、飼育場所、餌の選定、その他飼育技術がポイントです。手塩にかけ我が子のように愛着をもって育てるわけです。しかし、愛着を持ちすぎ、その売却タイミング決断をまちがうと、高額で売れるチャンスを逸してしまうのです。
このような視点から米沢牛の売却を考えると、企業を売却する経営者と米沢牛を飼育する農家の経営者は、同じ立場で事業を営んでいるという考えにいたるのです。米沢牛の売却に対し風評被害はありません。しかし、中小企業のM&Aによる会社売却は風評被害が懸念され売却決断遅れによる企業破綻が相次いでいるのです。米沢牛のルーツは、上杉鷹山が創立した「興譲館」にあります。
明治4年、イギリスより英語の講師として招かれていたヘンリーダグラスが、牛肉料理を米沢に広め、さらには東京、横浜にその味を広めたのです。明治維新とともに「英語学校」の様式を取り入れた「興譲館」。進取の気性に富んだ鷹山の精神を引き継いだことに起因しているものです。私達(メルサビジネスアドバイザー)は、上杉鷹山の経営戦略を新しい着眼点でとらえ、進取の気性に富んだ鷹山の精神を踏襲し、全国の中小企業に新しい再生発想を提唱し、そのノウハウを教示しています。
【上杉鷹山とM&A】(温故知新で知るM&A)
上杉鷹山は危殆に瀕した米沢藩を再建させた改革者としてあまりに有名な人物です。著名な経営戦略の大家や識者が、鷹山の経営戦略を手本とした経営改革論を教示しています。鷹山の再生手腕は、破産寸前の藩財政再生に対し、倹約の励行という点が主眼となり、その改革手法に目がむけられているのが現況です。
「上杉鷹山」と「M&A」を比較し提唱する経営改革論は、今まで皆無であったかもしれません。上杉鷹山の藩改革はある意味で現代の中小企業のM&Aに類似しています。鷹山の前藩主「上杉重定」は、藩籍を奉還しようとした経緯があります。つまり廃業です。(鷹山再生カレッジでは「廃業さえ」できない現代の中小企業の例を教示しています)。しかし、重定は隠居を決意し、上杉鷹山を養子に迎え再建を託したのです。
経営者が退陣し改革を他者に一任し、存続と発展を図る戦略は、まさにM&Aそのものです。前藩主重定の重臣7名が改革に反対し反乱を起す「七家騒動があります」。中小企業のM&Aを教示した自著「私が会社を売った理由」の中で、同様の同族の批判を「抵抗勢力は我が同族にあり」というタイトルで説明しています。上杉鷹山の再生戦略には、現代の中小企業のM&A戦略とあまりにも類似する点が多いのです。
上杉鷹山の再建施策を引用した、「質素倹約」と「放漫経営」の是正による中小企業の経営革新は多く見受けられますが、上杉鷹山の「藩再生」と「M&A」を比較引用した経営戦略は皆無であったはずです。上杉重定の鷹山に託した再建決断。鷹山が改革を進捗する上で遭遇する様々な傍流、そして質素倹約だけでなく殖産興業という数々の多角化事業の重要性などなど、「上杉鷹山に学ぶ再生手法」は、現代の「M&Aによる中小企業再生」にあい通じるものがあるのです。
上杉鷹山は米沢藩の再生に56年の歳月を要していますが、破綻スピードの早い現代社会では「藩再生」が叶ったか否かは疑問です。上杉重定や上杉鷹山の時代に、M&Aという経営戦略が存在していたとすれば、数年で「藩再生」が実現したかもしれません。現代のM&Aは、買収側経営者にとって「時間」を買う発展戦略となっているので。